JAL オーロラ・アラスカ 便り
6組 大野晴里君 ご子息 富里君
19 Apr 2004大野です。いつもメールを楽しみにしてます、New york からの 帰途赤いオーロラを見たとの飛行記事が送られてきました。面白いので転送いたしま
す。
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ニューヨークからは一番北のルートで帰ってきました。
フライトのレポートです。
「空を見上げると、先ほどまで黄色かったオーロラが恐ろしいほど真っ赤になり、 やがて空も雪面も赤一色で埋め尽くされた。 まるで血の様だ。
エスキモーの古くからの言い伝えでは赤いオーロラは不吉なこと の 前兆。
確か、このような書き出しで始まる「アラスカ物語」。 この実話に書かれているブルックス山脈が遠くに見えてきた。 今回はNYC−TYO の一番北側のルートで帰ってきました。
快晴のJFK を離陸してハドソン川沿いに北上していきます。やがてニューヨーク州
の州都 オルバニーが左に見えてきました。川はここで二つに分かれ、一方は西に、そして
北に向かうもう1本はアジロンダック山塊の中に細くなって消えていきました。
十年以上前になりますけれど、冬季オリンピックが開かれたレイク・プラシッドが 山並みの中に見えてきます。もうだいぶ雪は消えていました。
今日は大きな高気圧が東海岸一帯を覆っているので、本当に下が良く見えます。
やがて大きな平野に出て来ると、左から右に向かって大きな川がゆっくりと 流れているのが見えてきます。もう表面の氷も溶け春の様子です。
セント・ローレンス川、五大湖から大西洋に流れるただ一つの川です。 右のほうに中州を挟んで、フランス語圏の大都市、モントリオールが見えていま す。 大地は雪が消え、綺麗に区画された農地が茶色く見え、春の植え付けを待っている 様 に見えます。
やがて機は大きな大きなハドソンベイを斜めに横切ってチャーチルへと向かいま
す。
カナダにはベイ・カンパニーと言う大きな会社があってデパート等を経営しています。 名前の由来は昔毛皮商人だった創始者がハドソンベイを本拠地としていた所から 付けたと何かの本で読んだ覚えがあります。
この辺りから、大地は真っ白になり、何処までが海で何処からが陸かの区別も出来
ななりました。
前方のナビゲーション・ディスプレイには左前方に冬のオーロラ観光で有名なイエローナイフが表示されています。
北緯66度が近づき、もうすぐ北極圏です。 機体の進路を示す、スタンバイのマグネチックコンパスの指示が理屈に合わなく
成ってきました。 磁北が近いので、真北と差が大きく出てくるのです。この辺りの航空路は進路の数
字 の後に Tを付けて真方位で表示されています。
人跡未踏の様な何も無い白い大地を数時間飛びつづけると、やがて地面に白い直線 が 見えてきました。
電線です。電線の両側はその保護の為に木を伐採するので、まるで除雪していない
道路の様に見えてきます。
近くに町がある証拠。カナダ最北の町、イヌビックの上空に差し掛かりました。
セントローレンス川と並ぶ、カナダの二大河川、北極回に流れ込むマッケンジー川
の河口近くです。
カヌーイストの野田知佑さんがカヌーでこの川のはるか上流から河口まで下った時 のエッセイは素晴らしい読み物でした。 冬には夜が明けることの無い、こんな極北の町にも人が住んでいるのはちょっと感動的ですらあります。
"Edmonton Center Japanair5 over inubik Flight level 360"
"Japanair5 report Anchorage Center 141W"
機はカナダからアラスカへと入って行きます。
そして、右側にアラスカの北の大山脈、ブルックスレンジが見えてきました。
3000M級の山並みが連なり、幅も長さもかなりあります。
高緯度という事も有り、荒れた時の厳しさはものすごい物がありそうです。
この山脈をエスキモー(イヌイット)の部族を率いて超えたフランク・安田の話で
最初のアラスカ物語へと話は戻ります。
そろそろ、フライトは前半も終わりに差し掛かりました。 今日の飛行時間は13時間少々。春になり、向かい風も弱く成ってきました。」
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